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プロフィール

こんにちは!

ご覧いただきありがとうございます。
Pilates Room Shellの、あずさと申します。

実は私、、かなりの人見知りです(笑)
知らない場所や、知らない人、初めての事なんか本当に苦手な私ですが今では、
こんなお仕事させて頂いています。

知らない人のレッスンを受けることに不安を感じられる方が
ほとんどだと思っています。

まずは、私自身について知って頂けたら、
少しでも、その不安が勇気に変わるのではないか、
そう思って、ここでは私自身について少しお話させていただきますね。

何から話せばいいのか、、、とにかく長くなりそうですが、
ありのままの私をさらけ出します(笑)丸裸を見られる気分ですがwww

良かったらお付き合い下さい!!

Azusa-アズサ

名前:Azusa
 
血液型:B型(かなり繊細なB型です)

出身:宮崎県

家族構成
同じ歳の夫(私にとっての重要人物)と、2人の子ども(ギャルを目指す小学2年生と、夫と同じ顔のもうすぐ5歳長男)

好きなもの(こと)
ピラティス、栄養学(栄養を語りだすと止まらない(笑)、ハワイアン

苦手なもの(こと)
スポーツ(笑)小さい頃から大っ嫌いです!!学生時代はもちのろん帰宅部!!そんな私でもピラティスはできますよ~

将来の夢:夫と、のんびりと南の島で過ごしたい!!

幸せを感じる瞬間:ピラティスをしている時

幼少期からHSP気質、イジメ、人間嫌いになっていました

私は小さい頃から、ものすごい人の目が気になり、常に家族や周りの人の顔色を伺って生きてきました。(極度のHSP気質で繊細さんってやつです)

生まれつき、まぶたの筋肉の病気があり、手術を3回行っています。
その病気は、笑ったり不意に下を向いたりすると、まぶたが上がったまま下がってこない特徴的な目になってしまいます。
その病気の事で、小さい頃からいじめにあったり、人に笑われる事、怖がられる事は日常茶飯事。
私は笑う事が怖くなり、物心ついた頃には自然と笑わない事を選択して生きてきました。

コンプレックスを抱えながら
人生は、我慢して、人に嫌われないように、自分の気持ちは押し殺して、強がって生きていくものだと思って大きくなりました。体力もなく、スポーツなんてできない幼少時代。

中学校では学校の楽しさが分からず、勉強にもついていけず不登校を繰り返し、人間関係にも悩みました。
そんな思春期に大好きな父の死を経験しました。

何とか入学できた高校ではいじめに合い、人への不信感が大きくなり人間嫌いになりました。
学校へほぼ行かず、バイトばかりしてお金を稼いでは、おしゃれをして遊んで・・・を繰り返していました。

母親から、
「高校だけは何年かかっても卒業しなさい!!」と言い続けられていた(言い方よ・・www)ので、
うっざ!!とか言いながらも、
神様みたいな友人の助けもあり、何とか卒業!!(後になって母親の言葉が身に染みたのでした)

もちろん、なめたような生活をおくっていたので就職先も見つからず、、、知り合いの会社で事務職として働いたり、
OLしながら、夜はキャバ嬢として働いたり仕事は転々とし、働くやりがいなんて感じた事がありませんでした。

ガングロ時代「お母さんみたいになりたい」と看護師を目指す

そんな10代、、、ガングロギャルでした(笑)
毎週末は、クラブで遊び孤独感を紛らわして過ごしました。(↓探しましたよ、、、当時の写真を、、、笑)


ガングロギャルの時は、すごく楽しい毎日を過ごしましたが、
いつも私の中にある、

「私はいったい何がしたいのだろう・・・?」

この気持ちは常にあった気がします。
そんな時、友人の紹介で今の夫に知り合います。

色んな恋愛、経験をしてきた中で
こんなにも優しい人がいるんだと初めて感じました。(のろけか!!)

しかし、ガングロギャルはやめられず…笑

付き合って2年ぐらい経ったとき
母親が介護士として働く姿を見て、
直観で
「お母さんみたいになりたい」って思ったんです。

ただ単に、
介護士になりたかったのではなく
『お母さんを見てる利用者さんの顔が、みーんな笑顔』だったんですよね。

本当に楽しそうに仕事をしている母親の姿が
”キラキラ輝いて”見えたのを
今でも鮮明に覚えています。

母親の姿を見て
「お母さんみたいになりたい」と思った
その当時、私は23歳。

学校もまともに行っていない、
勉強も出来ない、そんな私に

母親が
「介護士目指すなら、看護師目指したら?」
馬鹿げたことを言い出しました。。。


・・・
「は??今何て言いました?」状態の
私でしたがなぜか、やってみようかな・・・
と心に決めていた自分がいました。

結婚も考えていた私は、
当時の彼(夫)に相談。

「あのさ、あず看護師さんになるわ!!」
・・・
返ってきた言葉は・・
「おー!!やれやれ~い!!」でした。
軽っっ!…拍子抜け。。   (彼はどんな気持ちで言ったのだろうか・・・
どんな未来が待っていると予想していたの??www)

いやー、それはそれは大変でした。。。
まず勉強が出来ない。

そりゃあそうですよね・・・
今思えば、無謀な挑戦でした。

猛勉強!小学生時代からやりなおし

看護学校の受験までの1年間で、
絶対受かるぞ!!と心に決めていた私は

大学生の家庭教師3人にお願いをして、
小学生から高校生までの勉強を
1からやり直しました。

本当に、マジで勉強してこなかった私は、
「マイナス1引くマイナス1」すら出来ませんでした(汗)・・・

部屋の壁には、小学校から高校までの
勉強内容を書いた紙をビッシリ貼り、
トイレにも貼り、、、
毎日毎日まじ嫌になる位勉強しました。

周りには
「あずにそんな事出来る訳がない」だとか、、

高校の時の先生に頼んだ
内申書を受け取りに行った時には
「お前に出来るはずがないだろ・・ふっ」と
鼻で笑われた事もありました。   クッソー!!絶対見返してやるー!!

しかし、受験時期が訪れ
受けても受けても受験に合格することなく、
受ける学校がなくなってくる日々・・・

社会人枠も少なく、
最後に受けた看護学校で、
「これで今年は諦めよう。全力を出すぞ!!」と決め受験。

・・・すると、なんと!
最後の最後で何とか合格!!
ほっとしたと同時に
不安しかありませんでした。
ポンコツの私が本当に看護師になれるのか・・と。

この時の経験から、
「努力に勝るものはない!」
「人間やれば出来ない事はない!」と実感シマシタ。

合格したものの、、、勉強についていけない、お金もない、どうしよう?

そんなこんなで、
看護学校に入学しましたが、
社会人で入学した私は、やっぱり勉強が難しい。

まず、勉強の仕方が分からない日々。
毎回テストは後ろから数えた方が早い!!


入学当初、
「何で私はこんな夢を持ったんだろう。
やばいことになったな…」。。。こればかりを毎日考えていました。

学校は市内から車で1時間少しかかる場所。

毎日車で通っていましたが、ある日、
通学途中の道路で大きな事故を目にし、
「このまま寝不足で通学すると
私も事故をおこしてしまう!」と
危機感を感じ
学校の近くに引っ越す事を勝手に決めます。

自分の夢は自分でやる!!
知らない土地で一人暮らし、
”一人で”最後までやりきるぞ!!
と思っていましたが・・・

なんと、彼が宮崎市内の仕事を辞め
私と一緒に住みながら、彼は知らない土地で
仕事を探し、看護学校生活を支える
という選択をしてくれました。


彼には色んな面でマジ支えてもらいました。
(色んな事がありましたが・・・笑)


学校は基本バイト禁止だったので
夜働きながら貯めたお金はすぐに底をつき、
常に貧乏生活(笑)

内申書の内容も悪かったからか、奨学金がなかなか借りれず、一時は学校のお金が払えない、
辞めなきゃいけない??…な事もあったり。。

しかし、私は初めて学校の楽しさを教えてくれた仲間ができ、歳の離れた同級生にも恵まれ

「あずねぇ(姉)あずねぇ」と仲良くしてくれて
辛くも、楽しい毎日を送ることができました。
良い事ばかりではなかったけどね。。勉強は辛かったけど、毎日は充実していたなあ♡(写真は、文化祭で楽しんでいた日!!左が私です(笑))



看護実習が始まり、毎日看護師さんの後ろを
”金魚のフン”の様に着いていき
緊張と気疲れと…毎日くったくた。。。

実習レポートは
毎日山の様に書かなくてはいけない最強最悪の日々・・・


そんな毎日でしたが、
私は実習が大好きだったんです。

それは、、
「患者さんが笑顔になってくれるから」

私と関わってくれた人が、私に
心からの笑顔をみせてくれた時
「わたしにも出来る事があるんだ」と私の達成感を感じさせてくれました。


いつしか、「この夢をもって良かった」と思うようになっていきました。

人生観を変えてくれたある患者さんとの出会い

そんな時、私の人生観を変えるような
実習がありました。
糖尿病、腎臓病もあり、片方の足は壊死し
片足切断をした認知症の患者さん。

その方は、
「自分の人生に悔いはない」
と口癖の様に言われる方で、
家族もその気持ちを尊重し、
治療は中断し、見守っている状態の方でした。

素直にかっこいい!!と
思った私は、必死にこの人にできる看護は
何かを考え実施していきました。

実習最終日、その患者さんから
「あなたには心がある。あなたにしか出来ない事がある。
その心を持ってやり抜きなさい」

と言ってもらえました。


私はこの患者さんに出会えてから
「心」を大事にという事を
モットーに勉強に実習に励んでいった毎日でした。

それから必死に勉強し、看護学校も終盤。

苦手だった勉強は楽しくなり、テストの順位も上がり、、、
過去から想像できない順位を取ることも出来ました!!パチパチパチパチ

国家試験前は
緊張で毎日ピリピリ。
泣きながら勉強。。。寝らずに勉強。

ついに国家試験!!
「自分のやってきた事を信じるのみ」
その気持ちだけで挑んだ当日。
やり切った感しかありませんでした!!


私が必死に頑張る姿を見て、多くの人が応援してくれて
励ましてくれた人がいてくれたからここまで頑張れました。

無事卒業!「え?ワタシが答辞を読むの?」


「ふぅ・・国家試験も終わったー!!」の
達成感の気持ちの中、、、
学校で一番怖い先生からの呼び出し。。。

「あず姉~、〇〇先生が探してたよ、
あず姉何かしたと??」と友人から聞かれ、、、


「いや、まじやめて。まじ怖いから」・・・
と言いながら緊張し部屋に行くと・・・

「あなた、卒業式で答辞を読みなさい」

・・・・・・
ぽかーんでした。

毎年の卒業式答辞は、
成績の順位が上位の優秀な生徒が読むって
聞いていたし、私みたいなポンコツが
そんな大役つとめられん!!って丁重にお断り。

しかし、ありがたい事に学校の先生方の話し合いで、どん底の私の這い上がりが認められ決定したとの事で説得に応じ、答辞を読むことになりました。
ほんと、貴重な体験をさせてもらえました!!泣…

答辞を考えるのも、
文章を書くなんて難しくって…
考えすぎる性格だから
悩みに悩みまくって、うつ病か・・・って位
悩みました。

そんな時も助けてくれたのは看護学校の友人達。
狭いアパートに皆で集まって、一緒に考えてくれたり励ましてくれて、
「あず姉は、いっつも悩んじょるがね~!!
ははは~!でも、それがあず姉らしいけど!」
って
笑い飛ばしてくれて・・・笑

みんなが私に歌ってくれた
”雪柳”は今でも大好きな曲!

卒業式当日は、実習で受け持たせて頂いた
患者さんも駆けつけて下さったり、
東京や地元の友人も駆けつけてくれて

みんなに見守られる中、無事終了。

緊張の答辞を読ませてもらった思い出は
私のかけがえのない宝物になりました。



そして
卒業式の後の合格発表当日!!
ドッキドキの時間!!

・・・・・
「〇〇〇〇」番。


見つけた時には、一つの自信に変わっていて
誰の為でもなく、自分の為にやり切った!!
という想いだけでした。

そんなこんなで、
卒業した年に夫と結婚💒👩🏻‍❤️‍👨🏻

看護師になれたものの、マタニティハラスメントに


念願の看護師になれた私でしたが
就職後2年目の時ずっと飼っていた愛犬の死、
その後すぐに妊娠。


妊娠してもギリギリまで働き、産休をとって復帰
するんだ!!と当たり前に思っていた私でしたが
妊娠を伝えると上司の姿が豹変・・・


毎日毎日嫌がらせ、言葉の暴力…
マタニティハラスメントに合い
そのストレスも大きかったこともあり
流産を経験しました。

その時言われた言葉も残酷すぎましたが、

”女性が子どもを産み育てる”という
職場環境の重要性を痛感しました。


病院奨学金も借りていたけど、こんなとこ
こっちから辞めてやるー!!と大金払って退職

気持ちの整理がつくまで
一時的に休養し、
大好きなハワイなんか行ってみたりして
その後再就職。

そこで、再び妊娠。就職してまだ1年も経っていない時でした。

申し訳ない気持ちの中緊張して、「すみません」と謝りながら報告

その時の上司は、自分の事の様に
飛び跳ねて喜んでくれて妊娠って、嬉しいことなんだと
初めて感じる事が出来ました。

長女が生まれ、ハンドメイド作家に・・・

無事に元気な長女を出産。

慣れない育児に毎日奮闘する日々。
当時、夫は出張ばかりで、ほぼ一人。

毎日孤独と戦いながら、
お姑さん・母の助けも受けながらの生活。。

再就職して産休まで1年満たなかった私は
手当が全く出ず、育休中無給生活😨・・・

生活の足しになればと、
大好きだった
ハンドメイドでお小遣い稼ぎを始めました。


デニムをリメイクし、
赤ちゃんの抱っこ紐に付けられるケープを作ったり

輸入生地で赤ちゃんのスタイを作ったり
赤ちゃんの帽子を編んだり…  していました!
えー!意外~!!とか言わないで笑

この時
娘がまだ半年ぐらいかな・・・

沢山のお客様に喜んでもらえて、
自分が作った物で、
こんなにも人を笑顔にできるんだ!と、
とても貴重な経験ができました♡
何より、ママに喜んでもらえるって事が嬉しかった!!

色々とあり、仕事復帰も重なり
ハンドメイドを辞める事にしました。

仕事に復帰!二人目の出産を経て楽しい子育てLifeのはずが、、、、

何だか、やりがいがない事に加え、
仕事の疲労・育児、、、の両立、、
鬱々とした日々を過ごしていました。


子どもをお姑さんや、夫に預け
自分は仕事仕事…
夜勤、夜勤…
残業、残業・・・な日々。
子どもと一緒に過ごす事もなかなか出来ない、
お迎えにも間に合わない。
お熱の子どもを夫に任せて私は夜中から夜勤へ…
私はただただ働き蜂の様に働くだけで、身体は不調。
休みの日は一日寝て過ごす。
子どもの成長を見逃す事は当たり前。


仕事、仕事、、そんな時に再び妊娠。

あれよあれよという間に出産。。。



2人目も産まれ、
家族4人穏やかで楽しい
子育てLifeが訪れると
当たり前に思っていた私でしたが…

気づいたときには産後うつ。


産後、何だか気分は乗らず…
嫌な事ばかり思考グルグル
上の子は赤ちゃん返り…
体は痛い、1日中ダルい、、
眠れない、、、
何故か涙が止まらない。
赤ちゃんが可愛いと思えない。
おまけに20キロも太りまくった自分のカラダに嫌気がさし、
鏡も見るのが嫌になった・・・

そんな毎日でも自分がおかしいとは思わず…
自分を責める毎日でした。

「こんな事を考える、ちゃんとしていない私が悪いんだ」
夫の前では正気でいなきゃ。
妻だからしっかりしてなきゃ。。。

そんな産後鬱中の私は、
どうにか正気の自分に戻りたかったのか

毎日ベビーカーに子どもを乗せ
1~2時間、毎日ウォーキングしてみたり
噂の筋トレに通ってみたり、、、
でも何も気分は変わらない。
カラダは痛くなる一方・・・

友だちにも会う気にもならないから、話すこともない。
相手は0歳の赤ちゃん。。。

『孤独』


「ちゃんとしなきゃ!!」の気持ち
ばかりが先走って
自分の気持ちは全然大切にして
あげられていませんでした。。。

お肌とカラダの不調、イライラ、涙がとまらない日々


妊娠・出産に伴って
栄養素はかなり不足していて、
肌はブツブツ、ボロボロ。
毛穴は開いて・・・汚い肌。

カラダの不調は常にあり
(頭痛、肩こり、腰痛、胃痛、鼻水、、、
数えきれない不調がなにかしら毎日)
痛み止めは常に内服。。。
カラダ中、湿布だらけ。

何かあるとすぐにイライラ、
長女に当たり散らして叫び怒る、
そんな事が日常茶飯事でした。
死んでしまおうとした時もありました。


毎日、毎日
私はこのまま歳をとっていくのか…

あんなに好きだった洋服もメイクも、全然興味がなくなりました。

何やってんだろう…
考えて虚しくなる毎日。

顔は無表情、涙しか出ない日々でした。

こんな毎日嫌だー。とりあえず何が何でも
痩せたい、と…そればかり目がいく。

とにかく痩せる為に、子どもが寝ている時間、一人の時間は常に携帯で

「痩せる 筋トレ」
「痩せる 産後」
「痩せない 何で」(←今思えば誰に聞きたかったんだ…笑)

寝らずにこんな検索ばかりして、行きついたのがまずは
ムキムキのマッチョお兄さんの筋トレでした。

貯金をはたいて、お金をかけて子どもを預けて
筋トレに通い・・・
家でも必死に取り組みました。

結果、“前ももパンパン”・・・
何だかムキムキになってきて、目指しているカラダとは逆方向にいってしまい
それがまた、自分を苦しめる事になってしまいました。
(決して、筋トレマッチョお兄さんが悪いわけではありません)


私はどんな私になりたい??

毎日問いかける日々。

そんな時に出会ったのが
”ピラティス”と”栄養学”でした。

孤独の中で出会ったピラティスにどはまり

まずはピラティスを知り、体験に行きました。

何なのこの意味の分からない運動は・・・
しかも、「何でこんなのも出来ないの??」的な事を言われたこともあり、
インストラクターが言っている意味が分かりませんでした。
だって、カラダの使い方や、正しい姿勢が分からないからココに来たんだもん。
インナーマッスルなんて、何のこっちゃ??・・・そんな私でしたよ。

最初は、「こんなもんか・・・」ぐらいでしたが、何だか魅了されている私。


初めてピラティスのスタジオに行った時、こんな文章が目に入りました。

「10回で気分が良くなり、20回で見た目が変わり、30回で身体のすべてが変わる」
何だか分からないピラティスだけど、この言葉を信じてやってみよう。


・・・

回数を重ねる度に
体が変わるというよりかは、まずは気分が変わっていきました。
「スッキリして、何だか気分が良い」
という、不思議な感覚でした・・・

だけど、そんなに甘くはない。
子どもがいて、子育てしながらピラティスに通う事はとてもハードルが高い私のガチガチの考え。

・子どもがいるんだから、私のメンテナンスなんてしちゃダメだ…
・妻なんだから、夫の許可を取らなきゃ…
・子どもを預けてまで…

そんな事を思いながらだったので、行く事に罪悪感もあり、最初はあまり継続できていませんでした。

だけど、スポーツの「ス」の字も興味なかった私が、少しピラティスから離れると、
何だかうずうず、カラダ動かしたい、カラダが楽になる感覚、気持ちが不思議と前向きになれる感覚を
知ってしまっていたから、またピラティスを始める。そんな日常の中のピラティスlifeでした。


やっぱり、ピラティスをすると
整う感覚があるんですよね。
そして、体力がつくと自然と家事も子育ても楽しくなる(楽になる)、
そんな不思議な事が私のカラダの中で起こっていたのです。
あんなに動く事だけで怠かったカラダが、体力がつく事でこんなにも動けるようになるのだと
身をもって体感したのでした。

”継続”の大切さを感じ始めていた時には、
ピラティスインストラクターの資格を取ろうと決めていたように感じます。

栄養学でファンデーションいらずの肌に

そして同じ時期に
何気に本屋さんで手にした栄養の本を
読んだんです。
「えー!!そうなの!!?」って情報
が沢山書いてありました。
夢中で読んでる自分がいました。

看護師をしていて、
栄養の勉強も授業でしていたし、
分かっていたつもりだったけど
何にも分かっていなかった事に気付いて
「自分の体は自分が食べたもので出来ている」
って事を改めて考えてみました。


私が作ったご飯を私はもちろん、
旦那さんも、
子ども達も食べている。。。その食事で家族皆が元気でいれるなら、

めちゃいいやん??一石二鳥やん??


私は、試しに
実際に栄養をしっかり摂る!!
体に必要のないものは入れない!!って
いう生活を3か月行ってみました、、、

すると、、、まじで本当に
嘘の様に、肌がめちゃくちゃ綺麗になって
ブツブツも出来なくなって!

遂に、ファンデーションを塗る事が無くなりました!!
もう4年以上、ファンデーションは使わず生活しています♡
嘘だと思う人ほどやってほしい!!


合わせて膣トレ(ピラティスは膣トレ効果あり!)、膣ケア始めたら
お肌ツヤツヤにもなってきた♡
お金かけてた化粧品もどんどん減っていきました!!

ついでに、栄養をしっかり摂るから
お腹も満たされ、血糖値も安定!!
必要な栄養によって、気持ちの安定に繋がりました!

体の不調で毎日飲んでいた薬は全く飲む事が無くなりました。


・・・だからと言って、何も添加物を食べない!!って事をしているわけではないですよ(笑)
添加物ってめちゃくちゃ美味しいし、
甘いものは食べたい、カフェラテだって、コーヒーだって、
パンだって、パスタだって、うどん、ラーメン手軽に出来るものは主婦の味方!!
美味しいものだらけだもんね!! たまにのご褒美にはガツンっと食べます!

ピラティスと栄養学で産後うつを克服!同じように困ってる人を助けたい想いが


産後鬱だった私が、この2つを実践して
自分で体現したからこそ、今があると思っています。


以降、ピラティスも食事も続けていた
私でしたが・・・

いつしか、
・私の経験が誰かの役に立つかもしれない。
・「命の電話」に出てくれて話を聞いてくれたおばちゃんの様な存在になりたい。
・私と同じように悩んでいるママを助けたい
・キラキラした女性を増やしたい
・私に関わってくれる人たちを幸せにしたい!
・ピラティスや栄養学をもっと学んで、自分も教えられる側になりたい。

そんな気持ちが出てくるようになっていきました・・・

思い立ったら、すぐに行動。
旦那さんを説得し
マットのピラティス養成コースへ・・・

私のピラティスを始めるキッカケとなった
先生から学ぶ事にしました。

ここでも勉強、練習

大切な出会い。
同期、先輩に助けられました。

ここでも私の人生観を変える出来事が。

コンプレックスが魅力?養成講座の先輩のひとこと

私は、生まれつきマーカスガン症候群っていう
まぶたの筋肉の病気があって
笑うと目がつり上がった様になるのが
小さい頃からのコンプレックス。。

養成講座が始まり、私は皆の前で自己紹介をし
「私の目は普通じゃないので人前に出るのが苦手です。笑うのも苦手で、、緊張しています!」
と話しました。

人に変だと思われる前に、自分から伝えて
自分の不安を取り除こう作戦だったんです。

その後、その養成に参加していた先輩が
「あずささん、何言ってんだよ。
普通じゃない事が良いんだよ、
あなたのコンプレックスは最大の魅力だよ!」
と、私に言いました。

私は、ぽかーんとしながらも
すごく嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。

何十年も、自分の笑顔に自身が持てず
大嫌いだった自分の顔が
少し好きになれた瞬間でした。

先輩のおかげで、今では少しづつ
自分の笑顔を見せられるようになりました。

大人になって出来る友達って
仕事以外で、あまり作れる機会ってなくて

ピラティス養成で出会った皆は
私にとって、とても大事な仲間になっています!



考えすぎて落ち込むし、
人と比べて自分が嫌になっちゃうときもある。

元々HSP気質だし、
今も考えすぎて落ち込む、
人と比べて嫌になっちゃうときもある。
「私はどんだけ不幸者だー」って
悲観的になる時もある。

そして、そして、

栄養も考えて食事して、ピラティスもしてるからって
痩せていないよ(笑)産前のカラダには全く戻っていません(笑)


でも、
今の自分を受け入れて
「そのままの私でいいんだ」って
思えるようになってきました。

同期との練習、勉強の成果もあり
無事に
マットピラティスインストラクター養成合格。

「私の人生好きなように悔いのないように生きていく」開業を決意


その後、ピラティスと看護師
併用しようとしていましたが、
看護師の仕事が忙しすぎて疲弊。。

ピラティスから
遠ざかってしまいました。


自分の好きな事もできない毎日…
職場と家の往復に追われる毎日…
仕事と育児に追われる毎日…

ママだから「ちゃんとしなきゃ」とか
「我慢しなきゃ」とか「子どものために」とか
自分の事は、すべて後回し

この固定概念に
再び縛られていました。

仕事では、子ども・家庭を犠牲にして昼夜関係なく働いてきました。
子どもの成長も、見逃す事は当たり前。
そんな日々にうんざりしていました。

日々のストレスから体調を壊したある時
何だかプツンっと吹っ切れることがあって

私は私の人生、
好きなように悔いのないように
生きていく!そう切り替えることにしました。


ママとしての人生も自分の大切にしたい人生。

妻としての人生も大切な人生。

看護師としての人生も大切な時間。

私は私らしく生きていく!

やらずに後悔するより、やれ!!の夫の言葉があった。その言葉に背中を押してもらい、
大好きなピラティスへの情熱だけで突き進む事になりました。

私なんかにできるの・・・?

ピラティスが良い事は分かっても、ピラティスを色んな人に知ってもらいたい!と思った私は
Instagramでピラティス専用アカウントを作成し、投稿開始。

同時に、知り合いやInstagramから見つけて下さった方に
自宅に来て頂いたり、出張してパーソナルレッスンとして体験していただく事を開始。

まあ、それはそれは苦戦の連続の日々でした。

看護師と両立しながら、休みの日に体験してもらいお伝えする。
だけど、知識も伴わないし、私の体感も足りていないから
人に教える事が、こんなにも難しいのかと、思い知らされました。。。
「お金は払えない」と厳しいお声を頂いたこともありました。(今思えば、そりゃそうだよな・・・と)

そして、毎日毎日Instagramの投稿を頑張るけれど、見てくれる人は数名。
どうしたら見てくれるのか、こんなに良いピラティスを知ってくれる人が増えたら、
もっともっと良い世の中になる!!そんな想いでもがいていました。

そして地区の自治会にお願いして、近くの公民館を借りて
グループレッスン開始。

これはこれは、またまた心折れる日々でした。

私は勝手に、「こんなに良いピラティスなら、人が来ないはずがない!」と
勝手に思い込んでいたんですね。

初めてグループレッスンに友人2人が来てくれた時には、
終わった安堵感で号泣しました。
そして、私の挑戦を応援してくれた友人も来てくれました。
そして、そのお客様たちがピラティスというものを、他の人に、そしてまた他の人に・・・と伝えてくれました。

グループレッスンも、パーソナルレッスンも色んな方法を使って宣伝しました。
お客様が居なくて開催中止なんて、しょっちゅうでしたよ。
何度も何度も、

「このまま続けていくのは難しいな・・・」

「いつやめようか」
と挫折しそうになりながら過ごしました。

だけど、情熱だけは燃え続けていました(笑)
心のどこかで、こんなんでは終われねーぞーーって。(笑)

ピラティスって何なのよ??新たな挑戦の始まり。

ピラティスに魅了されて毎日、毎日スマホでピラティスを検索したり、
情報が溢れかえっていて、何が何だか分からなくなってきた。
日に日に自分のスキル不足を痛感。

分からなくなる度に不安になる毎日でした。
そうすると、自分の伝えたいピラティスが何なのか軸が定まっていない事にたどり着きました。

再び、学びを深めるためには
「ピラティスさんから、近い人から学ぶのが一番じゃないか」
(※ピラティスの名前の由来は、ジョセフ・ピラティスさんと言う方が作られたメソッドからきています。)

そう思い始め、色々とまた検索し始めました。

私の決めた養成コースは宮崎を離れ県外に、数日間、何度も行かないと受けられないコースでした。


長期間、誰にも相談できずに悩みました。

子どもも小さいし、家を空ける事になる。
周りに何て思われるだろう・・
交通費も、学びのお金も膨大にかかるはず。
家族に迷惑かかるのではないか・・
学ぶ為には、練習環境も必要になるはず。(今まで持っていたマットだけでなく、複数のマシンの学びもある為)

どうしよう、無理かな、、、
だけど行きたい、
受けたい、
学びたい。。。

その気持ちは強くなるばかり。

長期間悩み続け、
夫に相談。

「やらずに後悔するより、やれ!」

その言葉で決意。

東京と静岡に通い、
1年半の学びに全力を注ぐことになりました。

母として、
妻として、

色んな葛藤がありながらの学び。
家事・育児のなかで、忙しいでは理由にならない。

自分で決めた道を、夢と希望、そして情熱をもって自分を信じて歩み続ける強さとなりました。
そして、仲間との出会いは、私自身の人への信頼を深める特別な時間となりました。

そして、大好きなピラティスやカラダを整える為に、私自身が大切だと思う事は積極的に学びを深めていく事を続けています。この学びは永遠に続きます♪その時々で、大切な人達と出会い、支えられていて成長に繋がる、感謝ばかりです

ピラティスルームShellの誕生

ある時、色んな土地でピラティスを教えている先生方が
宮崎に集まるという企画を知って、
極度の人見知りな私は、ド緊張の中参加を申し込み、
ド緊張で参加をさせて頂きました。

そこで、沢山のピラティス指導者の前で、
私の事を語れる機会があったんですね。
すごく緊張して、声が震えたのを今でも覚えています。


だけど、話をしていると、
私の中に不安と同じ位、
夢が詰まっていて、
話しても話しても、
足りない程の夢がある事が分かりました。

私なんて、必要とされる事はないと思って
生きて来たこともあったし、
自信の「じ」の字もなかった。(今もないけど)

計画するピラティスレッスンには、
興味を持ってくれる方も1人、2人、、
あぁ、このまま続けてて何になるのかな…
なんて思って毎日を過ごしていました。

だけど、人前で自分に出来た夢を話した時、

自分の心の中に、
「この先どうなるか分からないけれど、
やってみたい、やり続けたい。」と、
この気持ちしか無い事に気付きました。



この私の大切な場となった先生方に頂いた言葉に背中を押して頂き、
【Pilates Room Shell】と自宅のピラティス部屋に名前をつけて
小さな小さな、ピラティススタジオとして細々と本格的にレッスンを始めていきました。


“Shell”の由来

小さい頃から、ハワイアンが大好きな私は
海にある貝殻のコレクションをする程の貝殻マニア😊🐬笑(これは今でも😂私の娘も受け継いでいます😂)

お店の名前、何にしようか・・・と、沢山の候補がありましたが、、、

shell(シェル)のモチーフには
「才能を開花させる力」
「傷ついた心を癒す力」があるそうです。

イキイキと前に進みたい方の、サポートが出来るように、お客様と一緒に成長していける、
そんな安心出来る場所になれたらと、この名前をつけました。

そして、ピラティスのエクササイズの1つに、
〈クラムシェル〉というエクササイズがあります。
これ!!お尻にめちゃくちゃ効くんです!(^^)!
プリっとお尻になれること間違いなし💛

大好きなエクササイズ!!是非、お試しあれ~~~!!

大切なお客様との出会い


まずはSNS発信。
毎日、毎日、毎日、毎日投稿内容を考えて、毎日投稿記事を作って、、、

ついには疲弊しました。(はい、、、頑張りすぎました。)

だけれど、その投稿を見て少しづつ問い合わせを下さるお客様が、ほんとに少しづつ来て下さるようになりました。
そして、グループレッスンも、ほんとに少しづつお客様も1人、2人と増え・・・そしてそのお客様がまた1人・・・と
連れて来て下さるようになりました。

看護師として働きながら、少ない日数でしたがレッスンを行わせて頂くことが出来るようになりました。
山あり、谷あり。
何度もくじけそうになりながらも、、、

ピラティスをすると、重かった肩が軽くなる。
さっき悩んでた事が、忘れられる
ピラティスした後は、不思議と気持ちが安定する
姿勢が綺麗だねって褒められるようになった。
痩せた?って聞かれて嬉しい。
しっかりまっすぐ立てる感覚がある。
動くって楽しいって思えるようになった。
ピラティスなら楽しく続けられる

など、お客様が自分でしか体感できない声を聞かせて頂き、沢山の方にピラティスメソッドを知っていただける
ようになってきた。そしてお客様が私を支えてくれている

私がお客様を良くしている、ではなく、
お客様と一緒に二人三脚で進んでいけている、
そんな空間が私は大好きだなあ…と、日々感じています

ママだから我慢するのじゃなく、ママが光り輝ける社会をつくりたい


女性にとっての人生って、
結婚や妊娠、出産、それから育児
生活も変化していく。

母親の役割、妻としての役割。
役割が増える事で
自分自身を見失い、
自分を後回しにしてしまっていた。

母親、妻として生きる事が
自分自身を置き去りにして
「自分はどうしたい?」を問わなくなって、、それが当たり前になってしまう。

自分の好きなことも、
やりたいと思った事をすることも
許されず、「ママだから」
周りの目を気にして押しつぶされそうになったりした。

それは、全て自分の固定概念
自分自身に寄り添ってあげたいと思った。

我慢する事も必要な時もある、
けれど、それ以上に
1人の女性としての人生を、時間を大切にしたい

子どもが居ても居なくても、
女性にしか出来ない事も多い。
女性にしか味わえない幸せも沢山。

だからこそ、女性はもっとキラキラしてもいいって思ってる。

いつも頑張ってる女性が
光輝く事でもっと世の中が
明るくなると私は本気で思っています。

そして、そんなママ達・女性を見て、

「ママみたいになりたい!」
「早く大人になりたい!」と思って
くれる子ども達が増え
その子ども達の未来が
キラキラ輝いてみえますように💕

これまで読んで頂き
本当にありがとうございます。

ポンコツの私が
這い上がってきた人生です。
ポンコツの私が這い上がれたから、
まじで出来ない事は何もないと
思っています😊

看護師として、沢山の患者様と出会い生と死に向き合ってきた経験、

ママになってから湧き出てきた感情、

体現した事を活かして
私に関わって下さる方
一人一人の、「心」「身体」
寄り添っていきたいと思っています。

30年後もイキイキとした不調のないカラダづくりを一緒にしませんか?

今でも「心」を大事にしたい想いは柱になっています。
痩せたい!!と始めたピラティスですが、今は
20年後、30年後の自分が自分の足で活き活きと歩き、不調のないカラダで楽しく生活出来るよう
機能的に、動き続けられる心地良いカラダとココロ作りの為にピラティスをしています。

痩せるためだったピラティスが、いつのまにか当たり前にあった不調を改善させてくれて、
おまけにココロも軽やかになった。

そして、ピラティスは予防医療としての役割もあると感じています。

心身共に健幸であれば、自分の好きなことができる!
心身共に健やかであれば自分らしく生きて行けるのではないか、そう思っています。
年齢に関係なく、私らしく自分に向き合える。そんな人生を全うできたら最高ですよね。

これからも私に関わってくれる皆さんを
「心もカラダも健幸に」していける一人として
私の大好きなピラティスを情熱を持ってお伝えし続けていきます。

感謝の気持ちを込めて

私のこの人生ストーリーを読んで
共感してもらえたり、
勇気が出た!と思ってもらえたり
あなたや、あなたの大切な人の
前に進むキッカケになったり、、、
私に関わってくれる人の笑顔が増え、
1ミリでも誰かの為になれたなら、
それがまた私の、頑張れる糧になります。

こんなに長い長い梓story・・・最後まで読んで頂き、ありがとうございました。             Azusa